京都製菓BLOG

日本のパンの歴史をご紹介します

世界的に見ると、何千年も食べられているパンですが、日本ではいつごろから食べられているのかご存知でしょうか。洋食なので明治から?それとももっと前から?

私自身が気になったので、日本のパンの歴史について調べてみました。日本にパンが伝来したのって、じつはかなり昔だったのです!

じつは意外と長い日本のパンの歴史

日本にはじめてパンが伝来したのは、なんと1543年のことです。航海中にたまたま種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともにパンが伝わったとされています。
その後キリスト教の布教のために来日した、フランシスコ・ザビエルらによって、日本でもパンが焼かれるようになりました。

ちなみに世界的にはパンを「ブレッド(bread)」と呼ばれることが多いですが、日本ではパンと呼びますよね。その理由はこの時に伝わった「パン」というポルトガル語に由来します。つまりこの時代の出来事から、今でもパンと呼ばれ続けているということです。

西洋文化の窓口である長崎で作られていた

宣教師たちによって、日本でも作られるようになったパンですが、江戸幕府の鎖国政策によって禁じられるようになりました。異国文化の唯一の窓口である長崎の出島以外では、すべての場所でパン作りが禁止されたのです。そのため長崎の一部で細々と焼かれるだけとなりました。

江戸時代後期にはじめて自分たちのためにパンを作った

江戸時代後期になると、日本の周りでも欧州各国の動きが生まれます。その中でも、イギリスが中国とのアヘン戦争に勝つと、江戸幕府は日本にも攻めてくると警戒しはじめました。

そこで兵糧として注目されたのが、長崎で作られていたパンだったのです。

戦地で米を食べるとなると、火をおこして炊かなければなりません。そうすると、どうしても煙を立てることになり、敵に居場所を知らせてしまいます。

この問題を解決するため、そして軽く携帯性がよいことから、パンが注目されたというわけです。ですが結局は、兵糧としてのパンは食べられることがなく終わりました。

本格的にパンがつくられはじめたのは明治時代

江戸幕府が倒れて明治時代に入ると、西洋文化が一気に花開き、横浜や神戸でパン作りが広がりました。西洋から伝わった製法そのままのパンも作られていましたが、あんパンをはじめとした、日本特有のパンが開発されるなど、各地で普及したのもこの頃です。

さらに大正時代になると、ドイツ式のパン製造法、アメリカ式の菓子パンの製造方法などが伝わり、さらに一般社会に浸透していきました。戦後になると、学校給食にも登場するほどパンが普及しています。

日本初のパン屋さんはヨコハマベーカリー宇千喜商店(現ウチキパン)

日本ではじめてのパン屋さんは、横浜でイギリス人のクラークさんが開いた「ヨコハマベーカリー宇千喜商店」です。その後はヨコハマベーカリーの見習いとして働いていた打木さんが受け継ぎ、今でも「ウチキパン」として営業されています。

今では当たり前のように家庭で食べられている、角型食パンの元祖がヨコハマベーカリーなのです。

日本のパンの歴史の中で、独自の進化も

明治以降急速にパンが普及する中で、日本で独自の進化を遂げたパンもたくさんあります。その中でも代表的なふたつをご紹介します。

あんパン

私は、あんパンほど、日本らしいパンはないと思っています。今では当たり前のように食べられ、外国人観光客にも人気のあんパン。

その元祖は銀座にある「木村屋総本店」で生まれたものです。

クリームパン

カスタードクリームが入ったクリームパンは、西洋から伝わったパンと思いきや、日本で生まれたものです。

その元祖は老舗の食品メーカーである中村屋の創業者、相馬愛蔵がシュークリームをヒントに開発したパン。甘いカスタードとふんわりしたパンの組み合わせは、本当にマッチしていておいしいですよね。

 

いかがでしょうか。実は江戸時代後期には、日本に入ってきていたパン。食パンの元祖は横浜だったり、あんぱんやクリームパンが銀座生まれだったり。日本にパンが拡がったのは明治以降ですが、当時は「ハイカラな食」だったようです。

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